みなさんは、坂井泉水と大黒摩季の秘話について詳しく知りたくはありませんか?
ということで今回は「坂井泉水と大黒摩季の秘話について!脱走の手伝いって何のこと?」と題して記事をお届けいたします!
最後までぜひ楽しんでご覧ください!
坂井泉水と大黒摩季の秘話について!脱走の手伝いって何のこと?
さて、坂井泉水と大黒摩季の秘話について見ていく前に、まずは坂井泉水さんと大黒摩季さんの基本情報についておさらいしておきましょう。
坂井泉水さんの基本情報
本名 | 蒲池 幸子 |
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生年月日 | 1967年2月6日 神奈川県平塚市 |
死没 | 2007年5月27日(40歳没) 東京都新宿区・慶應義塾大学病院 |
職業 | 歌手 |
担当楽器 | ボーカル |
活動期間 | 1989年 – 2007年 |
事務所 | スターダストプロモーション(1989年 – 1992年)Ading(1992年 – 1998年)SENSUI(1998年 – 2007年) |
所属グループ | ZARD |
坂井泉水さんは、音楽グループ・ZARDのボーカル担当でした。
誰もが知ってる有名曲であれば、24時間テレビのマラソンの終盤で使われる『負けないで』が挙げられるでしょう。
その他にも、世に様々な名曲を残されてきた坂井泉水さんですが、2007年5月、闘病生活をしていた慶応義塾大学病院内のスロープ状になっている高さ約3メートルの地点から転落し、亡くなりました。
大黒摩季さんの基本情報
生年月日 | 1969年12月31日 |
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出身地 | 北海道札幌市南区 |
職業 | シンガーソングライター |
担当楽器 | ボーカルギター |
事務所 | ビーイング(1989年 – 2001年、2016年 – )サニーサイドアップ(2001年 – 2015年) |
大黒摩季さんの有名曲といえば、アニメ・スラムダンクのエンディング曲『あなただけ見つめてる』やテレビ朝日のドラマ『味いちもんめ』の主題歌となった『ら・ら・ら』などがあります。
そんな大黒摩季さんが2023年5月19日、TBS放送の『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』に出演し、これまで語って来なかった坂井泉水さんとの秘話について語って居られました。
次の章では、その大黒摩季さんと坂井泉水さんとの秘話について詳細に解説していきたいと思います。
坂井泉水と大黒摩季の秘話①出会い
大黒摩季さんは、3歳の頃からピアノに触れ始めました。
それがきっかけとなり、音楽に幼いころから親しみを持っていた大黒摩季さんは、中学・高校で様々なバンドのボーカルとして活躍しました。
その活躍は目覚ましく、地元札幌では学生ながら名が知れた有名人に。
『これは歌手としてやっていける』
そんな確信を持って、大黒摩季さんは高校卒業後に上京しました。
そして当時乗りに乗っていた音楽事務所・ビーイングのオーデションに応募し、合格こそしたものの、『君には才能がないから、バックコーラスでもやって勉強するといいよ』と言われてしまいました。
大黒摩季さんにとっては非常に屈辱的な言葉でしたが、上京してから多くの音楽の逸材を目の当たりにしていた彼女は、勉強を重ねるためにバックコーラスで下積みする道を選びました。
大黒摩季さんはこの下積み時代に、『B’z』『T-BOLAN』など、様々な音楽グループの曲のバックコーラスを務めたのですが、その内の1グループが、坂井泉水さんがボーカルを務める『ZARD』だったんです。
大黒摩季さんによれば、坂井泉水さんは大黒さんの歌声をとても気に入っていて、とても可愛がってもらったそうです。
大黒摩季さんがセカンド曲でブレイクした後も、坂井泉水さんの希望で『ZARD』の曲のバックコーラスを担当していたほどです。
その曲の中には、先ほども少し紹介した「負けないで」も入っています。
この曲は164万枚の大ヒットを記録しました。
坂井泉水と大黒摩季の秘話②脱走
ビーイングとしては、坂井泉水さんを『あまり素性を明かさないミステリアスな歌手』として売り出したいと思っていたために、週刊誌などに撮られるのをとても嫌がっていました。
よってプライベートがなく、自由な外出すらままならなかった坂井泉水さんは、仕事の休憩時間に、大黒摩季さんに『一緒にヘアゴムを買いに行って欲しい』とお願いしたそうです。
どこでカメラを持った報道関係者に張り込まれているか分からない状況。
大黒摩季さんはもちろん渋りましたが、坂井泉水さんの可愛いお願いに根負けしてしまいました。
大黒摩季さんはこのことを『脱走』と表現していました。
この他にも大黒摩季さんは、坂井泉水さんと一緒にカフェに行ったこともあったそうです。
そして坂井泉水さんは「将来摩季ちゃんと一緒に曲を出したい!」と伝えるほど、仲良くしてくれたそうです。
大黒摩季さんと坂井泉水さんは、仲の良い姉妹のような関係でした。
坂井泉水と大黒摩季の秘話③大黒摩季と坂井泉水の病
初のライブを半年後に控えた時、大黒摩季さんは下腹部に強い痛みを覚えました。
その痛みは、お腹に力入れられず、歌が歌えないほど。
病院に行って検査してもらった結果、大黒摩季さんは「子宮内膜症」と診断されてしまいました。
しかも大黒摩季さんは、その他の子宮の病気も併発している状況でした。
こうして大黒摩季さんは、闘病と歌手活動を平行する日々を送ることになり、一時は歌手としての活動休止を余儀なくされるころもありました。
そして時を同じくして、坂井泉水さんも病気に苦しんでいました。
2001年には病気が原因で活動休止を余儀なくされ、2006年には子宮頸がんを患い入院生活を強いられました。
坂井泉水と大黒摩季の秘話④別れ
そして2007年5月、坂井泉水さんは入院先の慶應義塾大学病院内のスロープ状になっている高さ約3メートルの地点から転落し、駐車場で仰向けに倒れているところを通行人に発見されました。
必死の応急処置もむなしく、坂井泉水さんはそのまま息を引き取りました。
40歳という若さでした。
坂井泉水さんが亡くなったのは、ちょうど大黒摩季さんが15周年ライブを行っていた真っ歳中。
ライブ終了後、本物のお姉さんように慕ってきた人の悲報を聞いた大黒摩季さんは、涙があふれて止まらなかったと言います。
『一緒に曲を作ってライブをしよう!』
その夢は叶うことなく終わってしまうかと思いきや・・・
坂井泉水と大黒摩季の秘話⑤坂井泉水さんのコンサートにゲスト出演
2022年2月10日に東京ガーデンシアターで行われた坂井泉水さんの記念ライブにて、大黒摩季さんが登場しました👇
同ライブにて大黒摩季さんは、坂井泉水さんの映像の歌声のバックコーラスを担当。
2人のコラボライブが実現したのでした。ファンにとっては涙が止まらないライブだったかと思います。
各種通販サイトで発売されていましたので、気になる方はぜひ覗いてみてください。
最後に
いかがでしたでしょうか?
今回は「坂井泉水と大黒摩季の秘話について!脱走の手伝いって何のこと?」と題して記事をお届けいたしました!
最後までお読みいただきありがとうございました!
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